皆さん
初めまして!小林と申します。
プロフィールサイトにお越しくださいましてありがとうございます。
私は「介護業界」で孤軍奮闘されている経営者の皆さんに向けて
介護保険の売上天井が決まっている中で、人材採用に奔走し最終的に紹介会社、派遣会社にフィーを払い搾取されている経営者の皆さんの悩みを解決し
職員の「離職率」を本気で下げたいと強く思い、情報を発信しています。
なぜ、そういう思いで「離職率改善」をさせていく情報を書いているかの説明をさせてください!
基本情報

・株式会社ジャパンスタンダード 代表取締役副社長
・小林 武尊(こばやし たける)
※ニックネーム:たけちゃん
・1980年4月21日生まれ(42歳)
【職歴】
大学卒業後
↓
大手パチンコホール運営をしている企業に入社
↓
大手エステサロン運営の企業に転職
↓
介護業界に転職
↓
起業へ
※よく皆さんに経歴が異色すぎる!と笑われます♪
【現在】
※起業し経営者へ
※社会福祉法人の理事
※株式会社で運営する介護の取締役を複数社兼任
あらためまして
『離職率改善コンサルタントの小林』です。
世の中の介護事業所を運営されている経営者の皆さんに『離職率改善』を本気で改善していただきたく記事を書いています。
そのきっかけは、私の体験談からでした。
キッカケその① 中学・高校の剣道時代

剣道を始めたくなるキッカケとして、通っていた小学校の近くに剣道場があり道着をきた同学年の姿を見て「カッコイイ!」と感じたことからでした(笑)
中学・高校で剣道部の部長を務めるのですが
剣道は小学5年生から家の近くにある剣道場に通うところからスタートします!
また、当時、再放送をしていた「六三四の剣」という剣道漫画を見たのも大きな要因でした。
剣道を通して感じたこと
中学・高校と剣道部で部長を任せていただいたんですが….
中学は小学校の延長でとにかく個人の我が強く、チームをまとめるのが大変でした。

- 個人の気持ちがバラバラ….
- 言い訳をして練習に出て来ない….
- チームで頑張ろう!という気持ちが全くない
- 試合に向けた頑張ろう!という気持ちが全くない
私は小学5年に受けた影響で剣道を始めているので、ある程度私のモチベーションは高いのですが他の部員は初心者も混じり、何となく剣道部を選択している部員も少なからずいました。
当時の私は、どうしたら剣道部が良い方向に向かうのか?全く分からないまま日々を過ごしていました。
何とかしないといけない状況が….
私が部長に就任した当初は団体戦が戦えるメンバーがいたのですが、無法地帯の剣道部….
何もしないでいると、どんどん部員が少なくなっていくんですよ!

剣道は「個人戦」と「団体戦」の2種類の試合方式があるんですが
あと一人部員がいなくなると「団体戦」が出来ない危機に…
どうしたら、上手くいくかも分からない状態で顧問に相談したら、お前はどうしたいんだ?と言われてしまう始末…
当時の私の中学校は団体戦では常に表彰台を狙える位置にいましたので、私は部長として部員みんなと「表彰台」に立ちたいです。と顧問に伝えました。
私の考えを聞いた顧問は一言、私に言ったんです。
お前の気持ちは分かったが、お前の気持ちを部員に伝え、部員が今何を感じているか?を伝えたり確認したことはあるか?と…

今ではよく分かりますが、当時の私に分かる訳がありません。
ただ、このままでは部員が辞め「団体戦」に出場できないので、顧問に言われたまま
見よう見まねで、部員が今何を考えているか?
聞き出す事と自分はみんなと表彰台に立ちたい!という想いを伝える事を始めました。
初めは部員全員を集め、みんなの気持ちを知りたい!という話をしたのですが個人の意見が全く出て来ませんでした(笑)

そりゃそうですよね…いきなりみんなの前で自分の気持ちを言える部員がいるはずがないですから…
一対一で個人ごとに話を聞き、自分の気持ちを伝えていくと徐々に手応えを感じるようになりました。
私の行動が功を奏したかどうかは正直微妙なところでしたが、個人ごとに話をするようになってからは部員が辞めることなく、何となく、成功体験を積んだような中学時代でした。
※団体戦では常に表彰台に上がる常連校としてい続けることができました。
顧問の支え
私の文章だけを読んだ方は剣道部の顧問に対して無責任な先生ですね!と感じる方もいらしゃるかと思うんですが(笑)

後に同期の部員から聞くことになるんですが、顧問が結構裏で動いてくれていて
私の想いを噛み砕いて説明をしてくれ、部員が一丸となって同じ方向に進めるように促してくれていたようです。
今思うと、当時の私を成長させようとしてくださっていたんだと理解できます。
※ただ、当時は全くそんな気持ちは1ミリも持ち合わせていませんでした(笑)
顧問からの気づきの言葉
今だから理解できることを、当時の顧問は私に教えてくれていました。
剣道は「団体戦」「個人戦」と戦い方があるが、お前が部長として「団体戦」に対して執着を持っているのであれば、チーム全体を見渡せられるような気持ちを持て!
想像してみて欲しいんだが
チームで戦う以上は部員全員が同じ船に乗っているようなもの。
部長であるお前が船長であれば「どこに進みたいのか?」「いつまでにどこに到着するのか?」をお前が示して前に進める必要がある。

ただの独りよがりでは意味がない。と。
その為には、船から離脱者を出せない。離脱者を出せば、目的地に行けないからだ。
少しはイメージがつくか?
この事を考えることでお前の財産になるはずだから、よーく。考えてみろ。
と顧問に言われた事です。
中学時代の剣道からの気づき
同期から顧問が裏で動いてくれていたことを知った時に、何となくチームで戦う以上は部員全員が同じ船に乗っているようなもの!
の意味が理解できたように感じました。
独り善がりでは物事は上手くいかず、相互のコミュニケーションが大事なんだと。
当時の中学生は離職率改善に繋がる気づきはこんなもんです。
そして、高校時代へ
高校時代は入学当初から試練が
高校時代は入学当時から試練が待っていました(笑)
入部当初は女子先輩が2名しかいなかったんです。

1年生で入部するのは私しかいない状態でした。
その時は正直マジか!と思った事を覚えています。(笑)
この高校に来たのは顧問の先生が全日本剣道選手権に出場する名選手で、この人の下で学び・練習したい!と思い入部したんですが…
現状を嘆いてもしょうがないので!
顧問の先生から中学時代に剣道をやっていたメンバーのリストをもらい、勧誘しまくりました。
その結果、私含めて5名のメンバーが集まりましたので、団体戦には出場できる体制だけは整いました!!
メンバーは何とか集まりましたが、ここからが、めちゃくちゃ大変でした。

メンバーの思考やメンバー個人個人がどんな思いで剣道をしているか?が全くわからなかったんです。
※そりゃそうですよね。私が勧誘して無理やり入部させたメンバーもいましたから(笑)
私はとにかく退部という選択を選ばないようにするにはどうした良いか?を考えました。
一人が退部をしてしまうと団体戦に出場できないからです。。。
中学時代もそうだったんですが「個人戦」「団体戦」がしっかりとできる状態を目指し、表彰台に登るチャンスを増やそうと自分では考えていたように感じます。
この時にとった行動はたったの2つです。
・自分の想いを伝える頻度を上げました
・相手の気持ちを確認する場を定期的に設けました
何とか3年間、一人も退部者を出す事なく青春を過ごせましたが、部員はいろんなメンバーがいるので何を考えているかも分からないし、辞めなさせないためにはどうしたら良いか?は本当に悩みました。
中学時代の顧問に言われた言葉で「個人ごとに想っていることを確認する作業の意味」を学んだような気がします。

高校時代の剣道からの気づき
中学時代に顧問からもらった気づきでしたが、高校時代は少しレベルがアップできたように思います。
中学時代
- 同じ船の乗組員
- 独り善がりでは物事は上手くいかず、相互のコミュニケーションが大事
高校時代
- 自分の想いを伝える頻度を上げる
- ベクトルを示し共有
- 相手の気持ちを確認する場を定期的に設ける
離職率改善に繋がる気づきを中学・高校の剣道時代で上記の武器を得る事ができました。
キッカケその② 就職へ
パチンコホールを運営する企業へ就職

高校1年の冬に両親が離婚し、大学に進学した後は、学費を捻出するために「奨学金」をいただき、その他、バイトをしながら大学4年間を過ごしました。
本当は高校の教師になりたかったんですが、試験に落ちてしまい、就職浪人を選択することなく就職の道に進みました。
大学を卒業し妹の学費を稼がないといけなかった私は5社内定をもらった中で一番給与が良く早く出世ができそうだった、パチンコ業界を選択しました。
入社して感じたこと!
入社して一番初めに感じた事は
めちゃくちゃ身体を動かす体力的にキツイ業界である!という事でした。

その後に感じた事は入社した1年後の春でした!
気づくとスタッフがどんどん退職し入れ代りが激しい業界であることを痛感しました。
1年後にはリーダーに昇格するんですが、新しく入社したスタッフを育成して育てる途中でやめていく現状の繰り返しを目の当たりにしていた時に、何とかできないものかね?この虚しさ….
ということで!
業界の問題点を解決するには、一般社員で愚痴を言ってもしょうがないと感じ、早く昇進してこの問題を解決したい!と考えるようになり
最短で店舗運営を任せてもらえるポジションに就きたい!と決意しました!
※当時は店長が降格か退職しない限りポストが空かないため、副店長を目指すことに♪
私は、「踊る大捜査線」世代なんですが、
ドラマでよく和久さん(いかりや長介さん)が青島(織田裕二さん)に言っていた言葉がありまして…正しい事をしたけりゃ上にいけと(笑)

早く昇進したい強い思い!
早く昇進したい理由を改めて詳細に紹介させてください。
- 妹の学費を捻出するために早く昇進したかったんです
- アルバイトや社員が辞めていく現状を目の当たりにしていたからです
私は入社早々に新店OPENする店舗に配属されることになりました。
そのお店は足立区にOPENするのですが、このお店は後にグループの「旗艦店」になり売上NO1を持続させる店舗になるんです。
新卒で入社していますから、当然一般職からスタートになります。
主な仕事内容として
- ホール巡回(お客様対応)
- 閉店後の清掃
- 新台入替時に台の取外し、取付、移動
- 新入スタッフ(社員、アルバイト)の研修
上記の取り組みが主な仕事でした。
当時はパチンコ全盛期で、足立区にOPENさせた600台が10時に開店すると10時15分には満台になる時代でした。しかも、600人のお客様を10名から11名で対応しないといけないんです。
当時は法規制もまだまだ厳しくなかったので「出玉」の出るスピードが速い機種が多く、ドル箱でごった返す状態でした。

開店して15分でお客様が満員の状態が平日、土日関係なく続く時代ですから何が起こるか?というとスタッフがどんどん辞めていってしまうんです。
一般社員から入社しているんで、他のスタッフも私には話がかけ易いんでしょうね。
いろんな悩みや愚痴を話してくれるようになりました。

私としては辞めて欲しくないから、色々と相談に乗る日々がスタートします。
人の悩みや相談にのり、自分の意見を伝える日々が剣道時代と被るようになり、どうしたら人が辞めない仕組みができるだろうかと考えるようになりました。
※この時はまだまだ、自分で良い答えが出ていません。
また、上司に相談しても上司も忙しいので、辞めたい職員とうまく時間が取れない現状があり、結局辞めていく負のスパイラルに陥りました。
そこで、感じたことは自分が昇進して権限が持てないと「変えることができない」という結論に辿り着いたんです。
ですので、最短で昇進を目指したんです!

副店長に昇進
入社して3年後に副店長に昇進をさせていただきました。
副店長に昇進してからは、色々と業務がある中で店長から「人が辞めたら」採用をお願い!と言われ採用の面では全権を任されていました。
※やっと自分のやりたい領域にきました(笑)
当時の副店長の主な1日の業務内容は
- ホール巡回(人材不足で基本はホール巡回業務がメインでした)
いわゆる、お客様接客です。 - イベント企画を考える時間
- 売上戦略会議
- ブログ更新
- パチンコ・スロットの調整
- 採用計画、採用面接
- 営業会議の資料作り
日々の仕事は上記をぐるぐる回していり1日でした。
一番時間が取られたものは「ホール巡回」なんです。
なんと。。。1日の半分はこの業務で時間が取られてしまいます。。。
そこで、考えたんです!
人材の採用に力を入れ「離職」をしない仕組みが出来上がれば
- 人が辞めないので採用に時間が追われる事がなくなるのでは?
- 人が辞めない!ということはスタッフも充足をしていくのでは?
仮説として
私がホールに出なくてもホールは回るようになるので、私の時間が増える!
そうすると店舗の戦略を考えることに注力ができるようになると考えたんです。
仮説の元 実践した結果!
人をいかに辞めさせないか?という思考に変わっていきました。
その後、離職率が低下し、自分の業務に集中できるようになり、この成功体験から『離職率改善』を意識するようになりました!!
意識の変化
入社当時は訳も分からずに、辞めたいというスタッフの話を聞いて多少自分の意見を伝えて終わってしまい、どうしたら良いか分からない状態でしたが、役職が上がってくると「視座」が上がるんでしょうね。
どうしたら「人が辞めない状況を作れるか?」の思考に入り込んでいくんです。

結果論ですが
毎年40名ほどの退職者が出ていましたが、施策を始めてから毎年の退職者が10名ほどに激減。
離職率66.6%から25%まで下げることに成功しました。
入社11年後に初転職へ
パチンコ業界の衰退

大学卒業して11年後に退職を決意します。
パチンコ業界の衰退が大きな要因でした。
当時はまだ衰退の文字は大波としては押し寄せてはいなかったんですが都心に大型店舗を作っても
・遊技人口(パチンコ・スロットをする人口)の減少
・遊技台の規制(射倖心を煽るような機会の販売ができなくなってきていました)
射倖心を煽る台とは?・・・
例として10,000円の投資をしてスロットを遊んでいたところ、100万になって返ってくる。というものです。
業界的に都心に大型店舗を乱立させ、出店させたとしても投資回収ができなくなっていました。
そんな状況を考えた時に、このままパチンコ業界で頑張っても40代には厳しいマーケットが見えているんだったら、早く転職しよう!と考え、会社に退職を申し出て円満退職をさせていただきました。
今でもパチンコ店で働いている店長陣と話をしますが、現場のパチンコ業界は厳しく、転職したくてもできない状況下で非常に苦労をされているようです。
キッカケその③ 介護業界へ

株式会社が運営する会社へジョイント
約11年間いたパチンコ業界を退職し美容業界に転職したのち、介護業界の世界に飛び込みます!
エージェントから介護業界を紹介されます。
・数字管理ができる人
・自己成長をしたいと思っている人
・人のマネジメントに興味がある人
上記の項目に私が当てはまっていたので、紹介をされました。
正直、介護業界には興味がなかったんです。
だって、3Kと呼ばる業界で高齢者人口増を考えたら将来のマーケットとしては面白いですが自分が楽しく仕事をしているイメージが湧かなかったんです。

ただ、ご縁を頂いたので面接だけは受けさせていただくことにしました。
面接をしてみると非常に面白いと感じました!
ベンチャーマインドを持った集団で「介護業界を変えてやるんだ!」という気持ちがヒシヒシと伝わってきました。
この社長の元だったら面白いかもしれない!
と思い、自分の身を投じてみることにしたんです。
マネージャーとし入社
社長からはマネージャーとして入社の打診をいただきました。
しかし、いきなり、介護未経験の人間がマネージャーとして入社しても統制が効かないだろう!という結論に至り、介護未経験で本部に入社した人間が現場を知りたい!という名目で現場に入り込むことになりました。
週1で本部にて社長に現場を報告するお時間をいただき、他の週4日は現場で過ごす事になります。
当時私が求められていたミッション
私は介護業界未経験者でしたので、介護保険の制度上の仕組みを現場で身を持って覚えていくことがまずは大きな柱でした。
その他、今までの経験を活かして
「不採算店舗の売上向上」
「現場で感じる課題の提案➡︎修正」
「人材管理」大きな3本を柱に業務に当たるようにミッションをいただきました。

現場での課題
現場配属になり、意気揚々と仕事をしていたんですが
入社2週間もしない内に、現場の職員が抱えている悩みがチラホラ聞こえてきました。
①社長は素敵な考えを持っているが現場では一才浸透していない
②社長は何でわかってくれないんだ?あいつは馬鹿なのか?とおっしゃるが一度伝えただけでは伝わらない
③社長に現場の意見が全く伝わらない
本来は経営陣の考えを現場に分かりやすく浸透させ、現場で困っている課題をその場で解決してあげる。また、自分の判断ができない場合は、上司に相談し解決していく。
また、定期的に経営陣に現状報告をして目線のすり合わせを行うことが重要だと思ったんです。
そこで考えました!私が架け橋役になろうと!
私は転職組ですし、遠慮していては状況は良くなりませんからね(笑)
また、本部採用のマネージャー候補で入社していましたので、絶好のチャンスであると感じました!
現場と経営陣の架け橋を行うようになり、2ヶ月が経過した頃から現場の職員から
社長の考えていたことが見えなかったが理解できるようになった!私たちも頑張る。という言葉と行動が現れ始めました。
また、社長も現場の考えていることが理解できるようになると、現場に対してのマイナス発言が減っていきました。

キッカケその④ 社会福祉法人へ
ヘッドハンティングされて社会福祉法人へジョイント
経営サイドと現場サイドの架け橋を3年間し続けていたら、社会福祉法人にヘッドハンティングされていました(笑)

ヘッドハンティングの理由
元々お世話になっていた介護の株式会社に会長がいらっしゃったんですが、その会長が、社会福祉法人の理事長に就任をされていたんです。
当時、会長とはあまり接点がなかったんですが、私の仕事ぶりを見て下さったらしく声を掛けていただきました。
介護の本髄を学ぶには「特別養護老人ホーム」を勉強することは必須であると感じていたので、喜んでジョイントしました。
社会福祉法人の課題で一番ビックリしたのは
介護人材が「超売り手市場」である!という事でした。

自分の気に食わないことや自分の思い通りにならない事があると、あっという間に辞めてしまう人材があまりにも多く唖然とした事を鮮明に覚えています。
※介護の株式会社ではあまりこういうことは起きませんでした(笑)
社会福祉法人と株式会社が運営する介護施設で働く職員の違い
社会福祉法人は「特別養護老人ホーム」を運営していますが、24時間365日介護度3以上のお客様をお預かりしています。
※終の住処
介護未経験者がいきなり「特別養護老人ホーム」で働く方は少ないように思います。
なぜならば!介護技術が求めれらるからです!

ですが、その分自分が気に入らないとすぐに辞めてしまい、他の施設に転職を繰り返している方が非常多いんです。
※一生懸命にその施設で長年頑張っていらっしゃるは当然いらっしゃいます。
また、個人の介護感が非常に強くその施設の考えに共感できない方も多く、何かあると自分の事は省みずに、他責にされる方も多いです。
そして、新しい取組みや仕組みが出来上がると必ず反発をされます。
※前例踏襲が一番安心されるようです…
最後に一番困るのは
社会福祉法人は必ずボーナスが出ると思っている点です…
株式会社と同じ概念なんですが….しかも、就業規則にも書いてあるし…

他責にされる職員さんは社会福祉法人と全く変わりません。
ただ、一番違うところは、介護未経験者の方が門を叩きやすい業務が多い、ボーナスが必ずもらえるという概念がないんです。
店舗管理者や経営サイドが一番嬉しいこととしては
方針として決めた事は、何だかんだきちんと前向きに取り組む!という傾向が強いです。
話を戻しますね!
社会福祉法人での根本的な課題として感じた事は
理事長の想いが詰まった「理念」が全く現場に浸透せず、現場での採用面接は法人が欲しい人材像を明確にしていないので誰でも良いから採用!という風潮が蔓延していました。
そして、少しでも長く働いて欲しいという思いから「人材紹介」「派遣会社」に依頼をし業者にフィーを発生させる状態を作り出していました。
※自社のホームページからの問い合わせは、ほぼ0に近い状態。。。
こんな事では、良い人材は集まりませんし離職率改善は到底夢物語で終わってしまうと感じました。
施設長、理事へ
法人の大改革を行う必要があると感じ、理事長へ直談判し施設長に立候補させていただきました。
どうしたら、『離職率を改善』できるかを考え、動き始めます。
実際に色々と改革を進めていくと、他の法人でも同じように困っている経営者の方々が多いことに気づきました。
しかも、経営者の皆さんは何で離職するかが分からない!と仰るケースがほとんどでした。また、経営者と現場を繋ぐ架け橋役がいないことも問題でした。

そんな中、社会福祉法人の理事へ選任していただくチャンスをいただく事に!
起業へ

特に社会福祉法人の理事長様からお声掛けをいただく事が増え、自分が体験している事を困っていらっしゃる理事長様にお伝えし、関わらせていただく場面が増えてきた頃に、自分でコンサル業として起業しないのか?というお声をいただくようになりました。
皆さんの後押しもあり
社会福祉法人の理事や株式会社が運営する介護の取締役などを兼任しながら、2022年1月に法人を設立しました。
本当に困っている経営者の皆さんのお役に立てれば本望です。
2045年まで介護業界は確実に高齢者層が伸びていきますが、人材の奪い合い、人材確保は日本人にとどまらず外国人雇用が激化していきます。
そんな中で「離職率改善」に対して本気で取り組み、将来的に困らない経営を一緒にしていきませんか?
最後までお読みいただきありがとうございました。